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原晋監督(青学駅伝部)の功績と経歴や考え方は?【人志松本の酒のツマミになる話】

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2022年3月18日の『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ系)に、青山学院大学駅伝監督原晋(はらすすむ)さんが出演されます。

僕は箱根駅伝に詳しくなかったんですが、「青学優勝の功績者」として様々なメディアにも登場されていて、選手をどうやって優勝に導いたのか?どうやってモチベーションを高めているのか?など興味深々だったので、原監督について調べてみました。

  • 青学の原監督ってどんな人?
  • どんな戦略で青学を箱根駅伝で優勝に導いたの?
  • 原監督の経歴や考え方って?

また、僕自身の考える「チームビルディングがうまくいかなかった原因」についても考えてみました。

興味をお持ちの方は、是非最後までご覧ください。

原晋監督の偉業と功績

原監督は、青山学院大学の駅伝監督ですが、そもそもどんな功績を残されたのでしょうか?

2004年 青山学院大学陸上競技部監督に就任

2009年 第85回箱根駅伝で、史上最大のブランクとなる33年ぶりに同陸上部を箱根駅伝出場に導く(総合22位)

2010年 第86回箱根駅伝では総合8位に躍進させ、41年ぶりのシード権獲得をもたらす

2012年 第88回箱根駅伝では、往路・復路共に7位ながら、青学として当時最高位となる総合5位入賞

2015年 第91回箱根駅伝で、青学として念願だった史上初の総合優勝へついに導く

以降、第94回箱根駅伝まで総合4連覇を達成

2020年 第96回箱根駅伝で、2年ぶり5回目の総合優勝達成、及び10時間45分23秒の大会新記録で圧倒的な勝利を成し遂げる

2022年 第98回箱根駅伝では、2年ぶり6回目の総合優勝達成、更に10時間43分42秒の大会新記録で往路・復路共に完全勝利をも達成

引用元:Wikipedia

と、箱根駅伝の歴史だけみても、数々の偉業を達成されていることがわかります。

原晋監督の経歴 ~どんな人生を送ってきた?~

1967年3月8日 広島県三原市生まれ(2022年3月18日現在、55歳)

小学生の頃から、自分で決めた事はやり通す意志の強い少年だった

引用元:Wikipedia

小学生の頃から、自分の意思をしっかり持って、自制心継続力を養って来られたんですね。

これはご両親の影響も大いにあるのかもしれませんが、言われたことだけ素直にやって褒められて喜んでいたような僕から考えると、小学生で自分の意思を持つこと、というのがまず、すごいです。

中学で長距離走を始め、高校は全国トップレベルの長距離選手が集まる広島の名門・世羅高校に進学。 3年生時の1984年には、主将として全国高等学校駅伝競走大会へ総合2位に貢献

中京大学に進学

1989年、中国電力入社。陸上競技部の創設に参加。
故障が原因で入社5年目の1995年に27歳で選手生活を引退。その後は10年間中国電力でサラリーマン生活

引用元:Wikipedia

中学で長距離を始められ、高校では華々しい成績を挙げられたようですが、大学~社会人時代は、思うような人生ではなかったようです。

36歳のとき母校・世羅高校の関係者から紹介を受け、2004年に中国電力を突如退職ののち、青山学院大学・陸上競技部監督に就任

就任時に提示された「大学嘱託職員として任用・期間3年・現在の収入保証」の条件に対し、自ら 「退職して就任しか道は無い」 「3年で結果を出したら、3年後の身分保証をして欲しいが結果が出ない場合その必要もいらない」 と退路を断つ旨を明確にしていた。

引用元:Wikipedia

大企業での安定した生活を維持したままの出向という条件を提示されたにも関わらず、自ら、退路を断って、中国電力退職を決め、さらには3年で結果が出なければ自己責任、というまさに背水の陣の覚悟で青学の監督に就任されたんですね。

僕も企業に勤めるサラリーマンとして、自分だったら甘い条件を提示されればありがたく受け入れてしまうと思います。

それに、もし成果が出せなくても、辞めさせられることはないだろう、と会社に甘えて、他責にしてしまう考えを持っていることに気付き、まさに今、そんな自分の考え方やキャリアを見直したいと思っています。

そんな今の自分にとって、この原監督の生き様にはとても衝撃感銘を受けます。

監督就任直後、駅伝強豪校からは「箱根駅伝に出ていない」と断られ選手のスカウティングに苦労

しかし、出身校である世羅高校と出身大学の系列校・中京大中京高校からは継続的に好選手を入部させていった

「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言

就任3年目の2006年の第82回箱根駅伝予選会での16位惨敗に大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前になった時期もあった

引用元:Wikipedia

監督に就任されてからも、前述の輝かしい功績をあげるまでには、幾多の障壁を乗り越えられてきたんですね。

幼少期に培われた自制心継続力がしっかりとこういった逆境の時期に発揮されていたのだと思います。

僕は、恥ずかしながら、今の歳(44歳)になるまで、人生の挫折と呼べるほど大きな挫折を経験することなく、なんとなしにここまでやってきてしまいました。

そして、この歳になって、自分の力では解決できない悩みに直面し、自分を見失うに至りました。

どうしていいかわからず、人に甘えたくても助けてもらえない。

そんな状態に追い込まれた時、初めて、

自分の意思と行動で何とかしなくては!

と思えるようになり、今、まさに自分自身を変えようともがいてます。

そんな自分の心に、原監督の経歴は、グッと刺さります。

原晋監督の考え方や発言を振り返る

そんな人生を歩まれてきた原監督の考え方や過去の発言に非常に興味が湧き、少し調べてみました。

感銘を受けたエピソードをいくつかご紹介します。

中学3年のとき、三原市中学校駅伝大会に出るため、テニス部やバスケ部の生徒を誘い、寄せ集めチームをつくる。

人集め、チーム編成、区間の人選、レースの戦略まですべて指揮をとり、見事に優勝。自ら組み立てて成果を出す、その成功体験が原さんの駅伝人生の始まりだった。

引用元:金融広報中央委員会情報サイト「知るぽると」より

中学で既に、チームを自ら集め、育て、戦略を立て、成果を出す という一連の流れをご自身の力で成し遂げられた。

僕も中学時代、優秀と言われる方でしたが、与えられた環境の中で、率先して意見を言ってチームを引っ張ることまではできても、

自分の力で人を集めて、目標を設定し、戦略を立ててみんなを巻き込んで目的を果たす

ということまで自分の意思で行動に移すことはできなかったし、そんな考えすら浮かんでいなかったと思います。

高校の寮生活は上下関係が厳しく、理不尽な要求をする先輩が嫌で溜まらなかった。

自分達が3年生になると、上の人間の既得権益を守るだけの理不尽なルールは一切廃止した。

自分はいつでも、みんながハッピーになる選択をする。

上下関係にこだわるより、もっと本質を議論し、勝つために、先々の予測を立てて今やるべきことを考える、それが大事だと信じていた。

引用元:金融広報中央委員会情報サイト「知るぽると」より

学校時代の部活動に限らず、社会に出てからでも、先輩の執拗な強要に嫌な思いをした経験は誰にでも多かれ少なかれあると思います。

でも、僕は、自分が先輩側の立場になった時その慣例が当たり前だという思い込みの前提が拭えず、

自分は後輩に嫌な思いをさせないようにしよう

とは思いながらも、他の先輩や同僚が後輩を厳しくする姿は見て見ぬふりをしてしまっていました。

しかし、原監督は、高校時代から、理不尽だと自分が感じたルールを自らの手で一切廃止するという行動に出ます。

この、行動に移せるか、見て見ぬふりをしてしまうか」の差 はとっても大きいです。

大学時代は思うような道を歩めず、希望した実業団からは門前払い。
中国電力では捻挫をきちんと治療せず、監督とは衝突してばかり。

「結局、大学でも実業団でも覚悟の度合いが足りなかったのだと思います」

「高校進学のときのように、覚悟を持って自ら選んだ進路ではなく、他人に言われ、なんとなく決めた道ではいけなかったんです」

引用元:金融広報中央委員会情報サイト「知るぽると」より

これは原監督自身のインタビューでの発言です。

他人に言われてなんとなく流れに乗ってきた道で、うまくいかなくて文句や愚痴を言ってしまったり、悩んで動けなくなってしまう

まさに今の僕もそんな状況なので、この言葉も非常に心に刺さりました。

他人に依存して、他人の与えてくれた道にもたれ掛かって生きていると、自分の望まない方向に進み始めたときに、自分でコントロールができなくてどうしようもなくなってしまいます。

人生は選択の連続。その選択を他人に委ねず、自分で決める

これがとっても大事だということを、今はとても実感します。

「監督になって最初に取りかかったのは、部員に規則正しい生活をさせることでした。それがベースにあってこそ、練習を重ねて技術を高めていけるのです」

「就任後3年間はルール破りが日常茶飯事で本当に大変でした。おまけに大学やOBからも『原は厳しすぎる』と非難されたりしましたからね」

「しかし、土壌を良質なものに変えなければ、いくら苗を植えても荒れ果てる。そう信じていましたから、根気強く取り組みましたよ。監督というより生活指導部長といった感じでしたね」

引用元:金融広報中央委員会情報サイト「知るぽると」より

これもインタビューでの発言です。

ビジネスにおいても、どうしても「成果」を最優先で求められます。

だから、どうやったら成果が出るか?という考えのもと、とにかくがむしゃらに行動してしまう

その結果、チーム内のコミュニケーションや秩序が乱れ始め、成果にもつながりにくくなっていく

そんな悪循環を、まさに僕も経験しました。

「成果」を出すには、焦ったり近道・楽な道を求めるよりも、急がば回れで「基礎・地盤」をしっかりと固めることが大事

これも、今の僕にはとっても身に染みるコメントです。

ビジネスとしての「成果」は、その成果をなすために動く「チームメンバー」一人一人の行動の積み重ねの結果の上に成り立ちます。

メンバーの「行動」は、メンバーの「基礎スキル」「思考」の結果として起こります。

この大本を無視して表面上の行動を続けていると、成果が出ないばかりか、チーム自体の「力」「関係性」が時間と共に徐々に損なわれていくというのが本当の恐ろしさですね。

「陸上選手は、これまで『黙々と走れ』という指導を受けてきました。そのため、辛抱強く一つのことをやるのには向いていますが、横のつながりを築いて、他人とコミュニケーションを図っていくのが上手ではない

そこで、こうした欠点を補うようなチームづくりと指導を続けていく。

その一つが「目標管理ミーティング」。

青学の選手は、例えば「○○大会で○秒記録を伸ばす」というように「個人目標」を設定している。

「ただ、他人から言われた目標に対しては、選手の意識は希薄になりがちで、実効性が伴わないことが多いのです。だから、各選手に個人目標を立てさせた上で、控え選手なども交えたグループでそれぞれの目標について話し合い、他者の客観的な評価を受けることで達成可能な目標に仕上げていきます」

選手一人ひとりがこうした「目標管理」によって個のスキルを上げる努力をし、結果として組織のレベルが上がり、「チーム目標」が達成できる。そんな好循環が実現している。

引用元:金融広報中央委員会情報サイト「知るぽると」より

まさに、理想のチームビルディングです。

こういうベストプラクティスは、僕もいろんな似たようなお話を聞いて、「そうだよな」と思うことは今までにも沢山ありました。

でも、実際それが実行できていたかというと、できておらず、結果として人間関係の悩みに陥りました。

何故実行できなかったんだろう? と自問自答して、今思い当たるのは、こんな原因です。

  • 個人目標をこちらから押し付けてしまっていた
  • 個別面談をして言い分を聞いてあげてるつもりが、結局自分の先入観・固定観念で変換して受け取ってしまっていた
  • 時間がないことを理由に、一人一人と個別の時間を取らず、全体ミーティングの中で個別の意見も聞きだそうと横着してしまっていた

それに対して、原監督は、

  • 監督自身がしっかりと一人一人の選手と向き合って対話
  • メンバー同士でのヨコの意見交換を「場」として定着させ、自分の考えを「客観視」する機会も与えた

といった部分をしっかりと行動に移し、実践されたのがすごいところだと思います。

「陸上競技の場合、1番がいれば50番もいます。50番の選手がやはり50番のままでも、自己ベストを出せば必ず褒めます。そして、どう努力をすれば次の結果につながるかを一緒に考え、ヒントを与えています

「選手として芽が出なくても、マネージャーとして活躍する選手が現れたり、故障で苦しみ、大会に出場できるかできないかの瀬戸際で、自分が選ばれたい気持ちをグッと我慢して、チームが勝つために辞退を申し出る選手もいます」

「そんな選手たちと向き合うたび、本当は出してやりたい思いで胸が熱くなりますけどね」

引用元:金融広報中央委員会情報サイト「知るぽると」より

この言葉にも心を動かされます。

チームをまとめる立場にあると、「みんな」「全部」「絶対に」などの言葉で、一つにまとめて考えたり発言しがちです。

思うような成果が出せずに悩んで苦しんでいるメンバーを追い詰めないまでも、ないがしろにしてしまうことは、僕にも思い当たって反省することが沢山あります。

成果が出ているメンバーや、発言力があり目立つメンバーの意見に僕自身も流されてしまい、チーム全体がそのメンバーの意見に聞き耳を立てて依存していくという傾向がありました。

チームは、一人一人のメンバーによって構成され、誰一人掛けても、最大のパフォーマンスは発揮できない

これは冷静に考えれば当たりまえのことですが、日常的に自身に積まれてくる多くのミッション・課題を目にしているうちに、目も耳も感情も、麻痺していきます。

外部要因に甘んじて、盲目的な対応を続けていると、ジワジワとチーム力は衰えていきます。

メンバー一人一人の声、感情に五感を研ぎ澄ます

今までの僕にはできていなかった、このことに、これから集中していこうと思います。

最後に、2018年の第94回箱根駅伝で4連覇を達成した時の優勝会見で、原監督が語った勝因の理由についてご紹介します。

「『必勝メカニズムの開発』と『真の自主性』だと思う。私が他の仕事で一々いなくても、選手達自らでしっかり纏めるチームが出来た」

その一方で、「俺が居ないと練習をやらないの? 走れない要因を俺に責任転嫁しているのか??」と、一時期監督と選手対立のチーム崩壊危機だったエピソードを明かしつつ、「他大学の悪口を言うつもりは無いが、『自主性』と言いながら指導放棄している人が多い」とも語っている

引用元:Wikipedia

このコメントにも、それまでの人生の重みが乗せられていると感じます。

「自主性を重んじる事」と「放置」は違う

ということですね。

僕も耳が痛いです。

「本人の意思を尊重する」と言いながら、任せたつもりになって放置してしまっていたことが、沢山思い出されます。

真の自主性」を生むためにリーダーがすべきことは、

  • こちらから目標や行動を押し付けるのではなく、本人の中から引き出してあげる
  • 本人から出てきた目標を達成するために、常に見守り、サポートしてあげる

この2つが肝だと思います。

言うは易し、ですが、どうしてもこちらから誘導したり、固定観念で遮ってしまうのが悪いクセ。

まとめ(所感)

一部メディアでの露出程度しか知らなかった原晋監督。

「ワクワク大作戦」「ハッピー大作戦」といった駅伝でのキャッチーな作戦名とその人柄だけに脚光が当たりがちですが、今回、経歴や功績、お考えや発言などを調べていくうちに、どんどんその魅力に引き込まれました。

もともと、幼少期から、自らの意思を持ち、行動に移せる力をお持ちだったこと

大学~中国電力就職時代に挫折を経験され、それを自らの判断と行動で見事に乗り越えられてきたこと

輝かしい功績の背景には、そういった人生の積み重ねがあったことを知り、僕もこれからの人生に少しずつでも生かしていきたいと思います。

特に

自分の意思で道を選ぶ」「真の自主性をサポートする

この2つをこれからの僕のテーマとして磨いていきたいと思います。

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