どうも、かずです
1990年代に『料理の鉄人』(フジテレビ系)の”和の鉄人”として一躍有名になった道場六三郎さん。
今は、なんと91歳になられたそうですが、ご健在で今も東京・銀座にて「銀座ろくさん亭」を営んでいらっしゃるとのこと!素晴らしいです。
最近、前向きに生きるヒントが詰まったエッセー「91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く」(KADOKAWA)を出版されたということで、インタビュー記事を拝見しました。
今回は、
自分の人生、このままでいいのか不安だけど、なかなか一歩が踏み出せない
そんなことをお考えの皆様に向けて、道場六三郎さんの人生の転機から、
- 人生における「自立」「独立」の覚悟
- 40代での独立・起業
について考えてみたいと思います。
道場六三郎さんのプロフィール
まずは道場六三郎さんの経歴を調べてみました。
1931年1月3日 石川県生まれ(2022年3月28日現在、91歳)
実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあり、幼少時から料理に親しむ環境で育つ。
17歳で知り合いの魚屋の手伝いに入り、初めて包丁を握り、19歳で上京。本格的に料理界に入る。
銀座「くろかべ」で料理人としての第一歩を踏み出し、神戸観光ホテルでしごかれ同系列の「六甲花壇」、金沢「白雲楼」と修行を重ね、28歳で「赤坂常盤家」のチーフとなる。
1971年(40歳)に独立し、高級惣菜店を開くも失敗に終わる。その後、「新とんぼ」などを経て、銀座「ろくさん亭」を開店。
1993年より、『料理の鉄人』(フジテレビ系)に初代「和の鉄人」としてレギュラー出演。2012年12月31日時点での通算成績は40戦34勝5敗1引き分け。
引用元:Wikipedia
多くの方は、『料理の鉄人』で道場さんの存在を知ったのではないでしょうか?
ずっとサラリーマンをやってきた僕としては、料理人のキャリア設計には疎いのですが、10代の頃から下積みを重ねられ、30歳手前でチーフを任された、という時間軸はサラリーマンの世界とも重なるかもしれません。
そして、40歳で独立され、ご自身の店舗を構えられたんですね。
最初のお店では失敗されたとのことですが、そのあと、41歳の時、現在まで50年続くことになる銀座の「ろくさん亭」を開店されています。
『料理の鉄人』での活躍ぶり、圧倒的な強さは、当時見ていた方なら記憶に残っているでしょう。
最近では、YouTubeチャンネルも始められたんですね。
道場六三郎さんは人生最大のピンチをどう乗り越えたか?
前述のインタビュー記事の中で、ご自身の人生のピンチについて語られています。
「ろくさん亭」を始める前、友達(経営者)と自分(料理長)2人でお店をやっていた。
お客さんもいっぱい入るようになったある時、「重役にしてやるから少しお金を都合してくれないか」と話を持ち掛けられ、二つ返事でOK。
当時住んでいた家を担保に、信用金庫から500万円借り入れして彼に渡したが、1年後、不渡りを出し、調べたらお金が一銭も残っていないことが発覚。全財産が一夜にしてパー。しかも、彼は逃げてしまい一銭も取れず、債権者の筆頭は道場さん自身。
引用元:前述の日刊ゲンダイインタビュー記事
友達とのお店は、料理長としての道場さんには、繁盛しているように見えて今したが、実際は火の車だった模様です。
40歳にして、全財産を失い、多額の負債まで抱えてしまった道場さん。
僕がその状況に陥ったと考えたら、恐怖とパニックで立ちすくんで思考停止状態になってしまい、まったく動けなくなってしまったのでは?と思います。。
でも、道場さんはそこから立ち上がります。
もう一人の債権者の人と店をやるしかないと決め、同じビルの5階で新たな店舗を始めた。
引用元:前述の日刊ゲンダイインタビュー記事
僕だったら、多額の負債を背負い込んだ状態であれば、返済のために収入源を探す という行為に出たと思います。
でも、道場さんは、敢えてさらに投資をしてリスクを背負ってでも、もう一度店を出す覚悟をしました。
不渡りを出した店が入居していたビルで再出店を決めた道場さんに、そのビルの大家さんは、「道場さんなら」と保証金を勘弁してくれたと言います。
料理長として真摯に向き合っていた道場さんの姿を、大家さんはちゃんと見てくれていたということですね。
それは、もしかしたら直接ではなく、その店に通うお客さんからの声として、大家さんの耳に届いていたのかもしれません。
真剣に努力していると、見ていてその努力をわかってくれて認めてくれている誰かが、どこかにいる
というのを実感できるエピソードです。
しかし、2人がトップというのはうまくいかず、道場さんは自分の株を彼に倍で売ることを提案。
彼が買い取ることになり、入ってきたお金で3軒隣のビルで始めることにしたのが「銀座ろくさん亭」。
当時は大丈夫かと言われたが、それでもあの頃は自信があった。お客さんが来なかったら引っ張ってでも連れてくる。それくらい強気だった。
僕にとってはピンチだけど、思い切って店を始めたのがターニングポイントだったと思う。
引用元:前述の日刊ゲンダイインタビュー記事
独立を決めた当時の道場さんは、恐らく、「経営」についてはそこまで詳しくなかったのでは?と想像されます。
それでも、2人がトップを張る経営への不安定さ・不確実さのようなものを肌で感じられたのではないでしょうか。
そこでも、ご自身の判断で、自分の株を彼に倍で売り渡し、本当に独り立ちするという覚悟をされたんですね。
「ろくさん亭」を立ち上げてからは、寝ずに働いたそうです。大量の弁当の注文が入ってトラックで駆けつけて作ったり、ものすごい集中力だったと当時を振り返られています。
そして、つらいときを乗り越えたマインドセットとして、こんな発言をされています。
逆境になっても、喜ぶことがいっぱいあると言われて育った。
「生まれながらにして五体満足。こんなありがたいことはない。感謝する気持ちを忘れてはいけない」
それを思うと、ちょっと大変な時でも、どうってことなかった。
引用元:前述の日刊ゲンダイインタビュー記事
つらいときこそ、ネガティブに卑屈になっていくのではなく、自分自身のありがたみ、喜び、感謝の気持ちにフォーカスすることでモチベーションをコントロールされている。
これは僕もしんどいときに実践したいです。
40代を過ぎてからの独立・起業への覚悟
道場さんのインタビューを拝見し、40歳を過ぎてからの独立について、改めて考えます。
会社の中では昇級して、後輩や部下も任せられるようになり、それなりの肩書き・立場を与えられてきたとしても、あくまでずっと「雇われる側」にいた自分が、その会社・組織から「独立」するということ。
それを考えた時、
会社という組織にいかに守られていたか。立ち位置を担保してもらっていたか。
を痛いほど感じさせられます。
「独立」するということは、
- 仕事ゼロ・お客様ゼロ
- 有休休暇や交通費などの手当も広告宣伝費もゼロ
の状態になるということ。
しかし、その対価は?と考えれば、
- 自分自身の真に「やりたい」ことに全集中できる
- お金や時間を自分自身の裁量でコントロールできる
ということがあげられると思います。
- サラリーマンとして与えられた目的を果たし、社会貢献していくこと
- 独立して、自ら「目指す未来」に向けて社会貢献の道を切り開いていくこと
どちらが良い・悪いという話ではなく、自分自身が何を望むのか?ということだと思います。
例えば10年先を考えた時に、どんな状態・立場でありたいのか?
これがまず一番重要です。理想の未来を描けているか?ということです。
そして、その未来に辿りつくために、「今立っている場所」は最適なのか?
自分自身と向き合って、ここを突き詰めていった結果、どういう選択をするか?ということですね。
動くも動かざるも、自分次第。
ただ、もし「動く」という選択をするのであれば、今回の道場さんの言葉が非常に響いてきます。
「仕事をやってあげている」という感覚ではなく、「仕事をさせていただいている」という感謝の気持ちで取り組んでいくことは非常に大切だと感じています。
まとめ(所感)
『料理の鉄人』で輝かしい姿を見せてくれた道場六三郎さん。
多くの視聴者には、その輝かしい部分だけが映っていて、「すごい人なんだな」という印象だと思います。
僕もその一人でした。
でも、自分自身が40歳を過ぎて、これからのキャリアを考え直すようになった今、道場さんが40歳で独立して自分の店舗を構え、そこで挫折を味わった後に、「今」があるんだということを知り、とても刺激を受けました。
「成功」し「結果」を出している人は、その瞬間だけが目に映ってきます。
でも、その「成功」は一朝一夕に成し遂げられたものではありません。
僕も、40歳を過ぎてキャリアを考えている今、もしこれからチャレンジするとして、「1年以内に何かを成し遂げられる」という思いで着手したら、まず続けられないだろうという覚悟をしています。
新たに学んで、それを実践してみて、うまくいかないこと、失敗、挫折も経験する中で、ようやく少しずつ「自分のもの」にできることが増えていく。
そして、5年先、10年先に、「今」思い描いている「なりたい・ありたい自分」に近づけていることを日々意識しながら、一日一日を大事に生きていくこと。
40歳を過ぎたから、それができないということは無いと思っています。
新しいチャレンジは、「やりたい」と思った瞬間からいつでもスタートできる。
そう信じて、「覚悟」を持って行動に移していければと思います。
コメント